japanese.china.org.cn | 07.09.2015

中国残留孤児、一生を日中友好に捧げる

タグ: 日中友好,戦争の悲劇

「本音を言えば、私はいつも気がかりだ。一つの家は日本に、一つの家は中国にある。本音を言えば、私にも恨みがある。戦争の悲劇は永遠にそれを覚えているだろう。祖国に帰ったが、中国の家は忘れがたい」歌詞が変えられたお馴染みのメロディーが15日夜、中日友好協会平和宮の中で鳴り響いた。

この曲を歌ったのは20人あまりの日本の高齢者だ。彼らは、中国侵略戦争によって、中国に残された日本の孤児だ。歌はそれほど上手ではないが、心が込められ感動的だった。曲が終わると、涙が頬を伝った。

54人の中国残留孤児でつくる「東京日中友好の会感謝団」は7月11 16日に自費で訪中し、中国の育ての親を訪問追悼し、中国の友人と旧交を温めた。感謝団は2009年11月に続き2回目の訪中となった。

中日の民間友好を促進する中日友好協会は15日夜、彼らをあたたかくもてなした。

中日友好協会の王秀雲副会長は、「おかえりなさい」と心を込めて言った。「皆様は歴史の証人だ。中日友好事業に引き続き力を尽くし、中日友好交流の堅固な架け橋になることに期待する。中国は永遠に皆さんの家で、永遠に皆様を歓迎する」

感謝団の池田澄江団長は、「私たちにとって、日本は祖国で、中国はふるさとだ。戦争孤児は特殊な集団だ。70年前の戦争で、私たちは生みの親と離れ離れになった。善良な中国人が私たちを死の淵から救い、二つ目の命を与えてくれた。私たちは感謝を胸に日々を送っている」と述べた。

善良な中国人が日本の戦争孤児を育てた物語を示すため、平均年齢70歳以上の代表団のメンバーは、舞踊劇「中国の母」のリハーサルを行った。参加者の中村恵子さんは声をつまらせ、「微力だが、日本人にあの歴史を理解してもらおうと力を尽くしてきた。私たちは若くなく、多くの人が重病を患っているが、子供のような汚れなき心で、多くの場でこの『中国の母』を演じたい」と話した。

同日夜の活動に出席した在中国日本大使館の伊藤康一首席公使も、中国残留孤児が日中友好事業に貢献していることを支持し、「今年は終戦70周年だ。皆様が日中友好の架け橋として、新たな日中友好関係の構築に貢献する強い意向を持ち訪中したことに、深く感謝を表する。日中友好がいつまでも続くことを心から願う」と述べた。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年9月15日

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